だいぶ前に買った3.11の写真集をやっと開いてみた。
パノラマ写真まであって、その風景に涙が止まらなかった。
「あの日・・・何をしていたか?覚えていない人のほうが少ないと思う。」
そんな書き出しに、気持ちが持っていかれてしまった。
山形は、停電が一日続いた程度。
何週間かガソリン不足や少しの食料不足は続いたが、
そんなの何とかなる程度。
スタンドに並ぶ長蛇の列の風景に違和感はあったものの、
それくらいの被害で済んだ。
しかし、心の痛みはずっとある。
まだ何も終わってないと思うからだ。
活動期に入ったプレートは、まだ時折揺れている。
先日も、福島で震度4の地震。
その前日は広島北部で震度5。
専門家ではないから、詳しいことは知らない。
だけど、プレートがこんなにも重なっている日本列島で、
地震大国日本で、原発はもう動かしてはいけない。
何を優先して経済を動かすかが、間違っていると思う。
人の命や動物の命を、こんなに軽んじる日本であってはならないと思う。
あたしが募金をするのは、「善意」ではない。
何も出来なかった自分への戒めだと思う。
そして今日、やっと津波の被害にあった地域を見に行った。
震災からずっと、この目で見ておきたいと思っていたが、
ずっと行けなかった。
物理的に行けなかったわけではなく、気持ちが行けなかった。
なんだろう。
一言では言えないけど、
大きく占めるものは、友人・知人達に何も出来なかった罪悪感だと思う。
あたしが見たのは宮城県名取市。
その地にくわしいぴーちさんに連れて行ってもらった。
仙台空港の近くに行くにつれて、変化が目に見えてわかる。
がれきが集められた山、無残な自動車の山、
海水の塩害で枯れたであろう木々、折れまがった植栽、錆びた工場。
流されなかった家も、
外壁が落ちていたり傾いていたり、それを何かで支えていたり・・・
中が丸見えで、真っ黒だった・・・・
津波で流された家の後の土地は、色が違う。
つぶれた車も、陸地で何体も見た。
そして、船がまだ何艘か陸の上にあった。
ぴーちさんが言っていた。
ここは、こんなに海が近かったんだね、と。
全てが流され、海がすぐそばに見える。
仙台空港周辺は、何度も訪れたことがある。
しかし、こんな風景は見たことがない。
写真を撮る気にはなれなかった。
カメラの存在も忘れるくらい、知らない風景に見入った。
そこがどこだかわらなくなるくらい、津波は全てを流した。
復興なんて、まだまだだ。
復旧すら出来ていない土地。
それが、目の前にあった。
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