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2011年3月23日 (水)

地震当日の話

今さらですが、地震当日の話を。

地震が起こった時は、アパートでまりんと遊んでいました。

携帯電話の地震速報がけたたましく鳴り、

その音でまりんがびっくりして棚の下へダッシュで隠れました。

それからすぐに地震。

尋常じゃない揺れに、まりんを棚の下から引きずり出して抱っこ。

ひどく怯えていたように思います。

大きく揺れるTVをまりんを掴んだ手で押さえ、

もう片方の手は花瓶を抑えました。

何秒揺れたのか、はたまた何分揺れたのか、全く覚えていません。

恐怖心よりも、まりんが怯えているのを何とかしなければ!という

思いの方が強かった気がします。

揺れがおさまり、怯えるまりんをキャリーに押し込み、

そのキャリーを持ってすぐに外に出ました。

何十人と言う人がそこにはいました。

すぐにまた揺れが始まり、これはほんとやばい!と思って車に乗りました。

何をすればいいかわからず、

携帯電話で母や親戚に電話をしても繋がらず、

安否確認のために車を走らせました。

信号は点いておらず、そこで初めて停電していることを知りました。

友人の家と、近くのばーちゃんの家で無事を確認。

母はメールで無事を確認。

次は車で30分くらいのじーちゃんばーちゃん家に向かいました。

しかし、かなりの渋滞。全然車が進まない。

しかも、ガソリンタンクのエンプティが点いた。

このままだとガス欠になるかもしれない。

連絡が取れれば!と思い、だめもとでじーちゃんばーちゃんの携帯にメール。

そしたら、「大丈夫、無事!」の内容のメールが返って来た!

ガス欠が怖かったのでそのままアパートに引き返しました。

道中、ガソリンスタンドを探しましたが、

どこも停電でだめなようで、明日には復活するべな~と軽く考え

そのままアパートへ。

街中は、異様な雰囲気でした。

車のライト以外、街に何も明かりがないのです。

その日の夜は、ずっと停電でした。

災害用品は玄関に準備しており、その中に懐中電灯もありました。

電池をくうので、ろうそくが欲しかったのですが持ち合わせがありませんでした。

多分、どこも売り切れだろうなぁと何かないか探したら、

処分する一歩手前のアロマ用のキャンドルがありました。

アロマ用品ってなんかおしゃれな感じなので

あたしもやってみるかな~と買ったけど、

結局めんどくさくてそのままで、たまたま引き出しの奥にありました。

助かった・・・

Img_5972

ガスと水道は生きていたので、とりあえず簡単に料理は出来ました。

暖房がなく寒いので、超厚着で過ごしました。

落ち着いたところで携帯電話でTVを見ました。

「えっ」

それ以上の言葉が出ませんでした。

津波って・・・??

そんなに大きい被害が・・・??

Img_5978

次の日も停電でした。

母がアパートに来てくれ、車の携帯電話の充電器を持って来てくれました。

かなり助かりました。

前日、ずっとTVを観ていたので電池が切れそうでした。

それから母とスーパーへ行き、少し食料を買い、母とは別れました。

そして、ガソリンスタンドの前で唖然。

ものすごい行列・・・

何十台???って感じで・・・

でも、エンプティ点いてるから今入れないとやばいと思い最後列に並ぶも、

ガソリンを入れるまでに3時間弱かかりました。

並んでいる間も、余震がたびたびありました。

アパートに置いてきたまりんが心配だったし、

ガソリンも並んでいる間になくならないかと気が気じゃありませんでした。

待つ間、友人知人へメールで安否確認。

山形市内で電気が復旧したところもあるようで、そんな情報交換。

2000円の制限はあったものの、ガソリンを入れ終え、アパートへ。

まだ電気は復旧しておらず、寒い夜を覚悟しました。

そしたら、急に電気が点いた!!

「まりん!電気点いた!!やったーーー!!」

と寝ているまりんに言いました。

本当に嬉しかった!

それからTVを付けて、現状を知りました。

津波の被害・・・

映画を観ているようでした。

これ、もしかしてものすごい被害なんじゃ・・・

涙が出て仕方ありませんでした。

ネットもつながったので、情報収集。

mixiが一番頼りになったと思います。

仙台の友人に連絡をとり、安否を確認。

あたしの友人は、車を流された人はいましたが、

命はみんな助かりました。

それからずっと、毎日情報収集したりTVを観たり・・・

気持ちが同調してしまい、どうしようもなくなりました。

食欲もわかないし、眠れないし・・・

あたしみたいな方、多いと聞きます。

でも気が滅入っていては何もできない!!

今はがんばって仕事しています。

山形にも、たくさんの方が避難されています。

その方達のためにもがんばらなくては!

みんな!元気にがんばって行こ!!

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 

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東日本大震災」カテゴリの記事

コメント

思い返すだけであの揺れは恐ろしかったです。
揺れは6分位だったそうですよ!
とにかく無事で何よりでした。
メールくれてありがとうございました。

地震の時は一瞬死を覚悟しましたね。
落ち着いたらわたすもあの時の事日記に書こうと思います。

投稿: LUCKY BLUE | 2011年3月24日 (木) 00:09

揺れ、長かったよね。
東京も結構ゆれたなぁ。

その日は、午前中に学校から「長女が具合が悪くなったので迎えに来てほしい」
との連絡があって。
体の丈夫な娘なので珍しいなぁと思いつつ迎えに行き、
ついでに病院に寄って帰宅しました。
薬を飲ませるために少しお粥を食べ、薬を飲んで一息ついたころに地震。

私はあわてて次女(七ヶ月)を抱っこしてじっとしてました。
揺れがおさまり、その後娘たちは昼寝してしまい・・・
目覚めたら長女の具合がケロッと治ってました。
まさに動物並みのカンなのかっ。
以来、我が家では「なまず」と呼んでます (笑)

私は関西生まれ、関西育ち。
25才の頃阪神大震災を経験しました。
今回のとはまるで違う、範囲が狭いせいか直下型で
下からドーンっって突き上げるような揺れ。
私は寝ぼけながら(朝方だったので)爆撃を受けたのか!
それとも爆発?とびっくりしたのを覚えています。

まだ毎日のように揺れを感じています。
もう揺れないでほしいですよねぇ。

投稿: のっこ0705 | 2011年3月24日 (木) 01:46

工場で地震にあいましたが
広い空間だったせいかあまり恐怖は感じませんでした。
直後停電になり家族と連絡付きませんでしたが
山形市に居る娘を迎えに行きました。
西バイ走るのは大変でしたね~
今は節電に努めております。
自分の出来ることをコツコツですね。
頑張りましょう~

投稿: ミグ | 2011年3月24日 (木) 08:01

今回はほんとに心底、人間の無力さを思い知らされました。
でも同時に、忘れかけていた日本人の底力と譲り合いの精神にも
感動させられましたね。

東京のど真ん中にある私の7階にある事務所も、
仕切り壁や本棚などなど、
すべてがゆがみ倒れてめちゃくちゃになりました。
立っていられないくらい揺さぶられました。

被災地はこんな「比」ではなかったのでしょうね。

すべては、命があってこそ。

なんとか復活してほしいものです。

投稿: こば | 2011年3月24日 (木) 10:44

■LUCKY BLUEさん♪
6分!?まじですか!?
そっちは怖かったろうな・・・
夜メールして返ってこなかったから、焦ったよーー(=ω=;)

■のっこ0705さん♪
東京も被害ありますよね・・(´;ω;`)
小さいお子さんがいると、余計に怖かったのではないかと思います。
守るので必死ですよね。
しかし・・・「なまず」・・・かわいい!!(笑)

直下型地震だと、爆発みたいに感じるんでしょうね、きっと。それも相当(((恐゚Д゚怖)))・・・

地震酔い、まだ抜けませんよーー

■ミグさん♪
怖くないだけ良かったですが、何も落ちてきませんでしたか!?
西バイ、混んでたでしょ。
あたしも、暗くなり始めのときに西バイにいて、異様な雰囲気を見ました。
もう嫌です。

■こばさん♪
こばさんの事務所も大変だったみたいで・・・(´;ω;`)
忙しい中のお気持ち、お察しします。
その後も大変みたいだし・・・(´;ω;`)

でも、命があります!家もあります。
がんばるしかないのです。

投稿: そらら | 2011年3月24日 (木) 17:15

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